振られたらちゃんと悲しむ

日常

今日もこの星のどこかで生きているみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

友達って基本、気の合う人だし、会って最近こんなことがあって〜とかいう話になって、どう思ったとか、どうだったとかいう話に大体なります。で、私が友達と会って話してる中ですごく多いのは「言ってくれたら良かったのに」っていう話題なんですね。もうこの世の中の問題って、多くはこれなんじゃないかなって思うぐらい身近では多いんですが、どうでしょう? 友達に限らず、言って欲しかった、とか、ちゃんと言ってくれたら良かったのに、って話多いんですよね。私自身を考えても、モヤモヤってほとんどそこに行き着くなあって思って。周りを見ても全体的にコミュニケーションが足りなかったり、下手だったり、そんなことで起きてる問題がすっごい多いなあって思うんですね、自分も含めて。

私もある人に対しては「言えない」で随分悩んだり、苦しんだり、それすら自覚してないままでいてしまったこともあったので、結構これは深い問題だなって思うんですね。なぜ「言えない」んだろうって考えるてみるのって大事だなって思ってるんです。結構考えますね、これ。それぞれに絶対理由があると思うから。

そして一方で、私も(その友達も)「言って欲しい」と思ってるんですね。何を考えているのか分からないことがモヤモヤする。言ってくれたらなにかもっといい方法が見つかるかもしれない、こちらにもできることがあるかもしれない、って思うんですね。お互いにとっていい方法を一緒に探っていきたい、って思ってるんですね。腹を割って話そうよ!って感じ。だから、言ってくれないと寂しいんです。だから怒っちゃうんでしょうね。

でも、そこまで分かった時に、気がついたんですね。こっちはそう思っていても、向こうはそう思ってないんだ、って。だから言わないんだって。もし、どうしても一緒に何かしたければ、方法を探っていきたいと思ったら、多分、言いますよね。ぶつかってでも言いますよね。だから、きっと自分はそう思ってもらえるような存在ではなかったってことだと思ったんです。片思いみたいな感じですかね〜。

お互いの気持ちが一致しなかった、そう言うことなんですよね。それに、私やその友達は、思ったこと言い合ってもっと関係が良くなると信じてるけど、そうは信じていない人もいるわけで。一致しなかったなら、バイバイして、違う道を行けばいいだけなんだって。一瞬悲しんで、自分も相手も大切にして、違う道を進めばいい、だたそれだけのこと。「何で言ってくれないの!」じゃなくて、振られたことをちゃんと悲しんで、翌日には自分の選んだ道を歩いていく、そんな感じで行きたいなって、ふと思いました。いろんな人と出会うけど、結局みんな違う道を歩いているんだもんね。

でも「言う」って大事ですよ。諦めちゃいかんところだなって思ってます。特に、一緒に居たい、成長したいって思っている相手には、「言う」ってこと、やめちゃだめだなって思ってます。

それに、自分は自分でちゃんと悲しむ、ってすごく大事かも。その後、ちゃんと晴れるしね。

それにしても「表現すること」って人にとってすごく大きなテーマだなあってつくづく思います。今日もそんなふうに思った出来事があったので、また書きますね!

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

良い週末をお過ごしください^_^

ではまた!

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