「これでいい」

日常

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいいただきありがとうございます。

実は2月から3ヶ月間、私は、あるセッションを受けていました。
この数年間で気がついた自分の中のことを、せっかく気がついたすごく大切な部分を、どうにかしてちゃんと扱いたくて。
それまでも何人かのセッションは受けてみたりしたんですが、初めて3ヶ月継続のものを受けました。

そのセッションが先日終わって、なんとも感動もので。

何十年も溜まっていたヘドロのようなものを掻き出したような、
何十年も重ねに重ねていた服を脱いだような、
そんな感じで、ものすごく軽く、楽に、なりました。

3ヶ月どんなことをしたか、簡単に言うと、
自分を見て、見て、見て、ひたすら見て、対話して、
出てくるものを全部出して、感じきる、という事だったんですが、

それは自分でもこれまでやってきたことで、
それがとても辛い過程を含むこともわかってはいたし、
それをわかった上で、もっとちゃんと膿を出したい!と思って、
専門家にお願いしたのでした。

目指すところは「自己受容」と言う事なんですが、
よく聞く「自己受容」と言うこの言葉の意味も、
どちらかと言えばピンとこないまま、
「これは今の私に必要だ」という直感で受けました。
(私は重症だ、と思ったので。。。)

3ヶ月の最後の方のミッションで、
「許せない出来事は何か?」と言う問いを自分にかけると言うものがあって、
そこで、自分でもびっくりしたんですが、
帰ってきた答えが「生まれてきた自分」だったんです。。。

その時に、
何が許せないのか、
どこが許せないのか、
何に腹が立ってるのか、
全部出し切って、出し切って、感じ切った時に、
今までとは3ヶ月前とは違う自分がいたんです。

「でも、いいやん、それで」

と思える自分。

「それが私」

これはすごい変化でした。

3ヶ月前までの私なら、
だからダメだとか、そんな自分だからダメだとか、きっと思って、
自分を責めてたんです。いつも。
だから、もっともっとって、
まだまだだって思って、ずっと生きてきた。
でも、この時、
あ〜、今まで自分を許してあげてこなかったんだな、って分かったんです。
自然と、「もういいや〜」みたいな感じになった。

「自己受容」って言葉を特に意識もしないまま、
3ヶ月ワークやミッションをやってきて、
今その言葉の意味がすごくわかる。
「ありのままって何?」って思ってたんですね、3ヶ月前。
いい言葉だとは思うけど、何?って。
だけど、こういうことだったんだ、って今は思えて、
すごくすごくいいセッションでした。

これは本当に一生の宝物。

やっぱり、全部自分なんだなってことが、よくわかりました。

それをダメだってことにしてるのも自分、
まだまだだって思ってるのも自分、
誰かのことをこうだと思ってるのも自分、
全部自分が決めて、そうなってるんだなって。

この3ヶ月、徹底的に自分と対話してみて、
自分が決めた通りになってる、と言うことも、
やっぱり自分が一番の味方であり敵であるってことも、
そんな自分を見てあげれるのは自分しかいないってことも、
陰も陽もあってわかるってことも、
どっちもあることがありのままってことも、
そして自分は、どちらかを選べるってことも、
わかりました。

そして、みんながそうなんだってことも信じられる。

以前とは全く違う世界。

その最初の一歩は、
自分のこと見てあげる、感じてあげるってことでした。
これは、セッションとか受けなくてもすぐにできる。
(私はセッションを勧めてるわけではない)

みんなの中に、気づいて欲しい自分がいて、
たくさんの人がそれに気づくことができたら、
自分も周りもきっと幸せな世界だなって思います。

楽しみです★

今日も素敵な1日。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではまた^ – ^




コメント

タイトルとURLをコピーしました