父の死

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

夏休みがとても有意義だった話を前回書きました。
一年前までと比べての変化もあったし、そして、夏休みの間にも変化したこと。
一つは、始まってすぐに「自室を作る」と決めて、今では自室でこれを書いていること。それも大きな変化の一つ。
2階の物置部屋となっていた部屋を片付けて(まだ物はあるけれど)気持ちよく自分が過ごせる部屋ができました。これは大きい。
環境って大事、自分で作るって大事って改めて思いました。

それで、もう一つ、これは自分でもびっくりだったんですけど、
2年ぶりに帰省できて、お墓参りに行けたんですね。
これまでも必ず帰省した時は行ってたんですけど、正直、この時以外に私は、ご先祖様にあまり意識を向けたことがこれまでなかったんです。情けないことに。
(でも、それが私なのだから仕方ないので、書きますが)
お墓参りも、ご先祖様を思い出す、顔を見せる、そんな意識はあったけど、
ちょっと義務感もあったんです、正直。
そんな気持ちで行くことに罪悪感もあったし、
ずっとそんな自分もちょっと嫌だった。

お墓に入っている私の知ってるおばあちゃん、とか、知ってるおじさん、とか、
実際に少しでも過ごしたことのある知ってる人なんだから
彼らに対して、何か思わないといけない、何か報告しないと行けない、
みたいに思っていたんです。(小さな頃のテレビの影響ですかね??)
でも、日常的に一緒にいたわけではないからか、
どうも自分的には不自然な感じだったんですね。
特に言うこともない、というか。。。(酷いけど。笑)

でもこの夏、当たり前のすごく大事なことに気がついたんです。

その親のまた親とか、そのまた親とか、
とにかく、ご先祖様がいないと自分がいないわけで、
いまの自分がいるってことは、ご先祖様がつないでくれた命があるってことで、
だから「ありがとう」でいいやん、って思ったんですね。
誰ってこともなく、ご先祖様みんな、「ありがとう」って。

自然と、単純に「ありがとう」って、そう思えたんですね。
やっと!!(おっそ〜〜)

なんか、私なんかが「ご先祖様」なんていうのは、
自分でもとても変な感じなんですけど、
私は嘘がつけない人間なので、
ようやく自分の正直な気持ちで、
ご先祖様に「ありがとう」と思えることが、とても嬉しかった。

それで、実は、そんなことを思っていた夏だったのですが、
何日か前、旧暦のお盆に、
線香1本、お水1杯だけでもいいから、ご先祖様に手を合わせてみて、という投稿が目に入って、その日同じことを言ってくれてる人が何人かいて、
線香だけ、お水だけでもいいから用意して
意識をそちらに向けてみよう、と思ったんです。
(ありがとうって、素直に伝えたい気持ちがやっと出てきたからでしょうね)

実は4月に、私の父が亡くなったんです。
私には普通なら連絡は入らない可能性の方が大きいのだけど(両親が離婚して何十年も会っていない。父との関係についてはまた別途)
この知らせは、かろうじて繋がっていた父方の従姉妹が知らせてくれたんです。
私はこの数年間で、父との関係についても色々と見つめ直してきて、
ものすごく複雑な気持ちが色々あったけど、ありがとう、しかないんですね、今は。
(そのことを、亡くなる2年ほど前に手紙で書いたんですけど、書いといて本当に良かった。)

そういうこともあって、
父だけじゃなくて、ご先祖様みんなに対して、
自分の家族だけじゃなくて、この世に生きて死んでいったみんなに
「ありがとう」って思うようになったし、
一瞬でいいから、それを思う時間をとりたいなって思うようになって、

片付けてできた自室の、
物置だった時はたまにしか開けれなかった小さな窓の窓際に、
お水とお線香だけを置くようにして、毎日手を合わせるようになったんです。
なんのためとかじゃなくて、ただ、そうしたくなったから。

それで思うのは、
やっぱり、何に意識を向けるか、って本当に大事だなって。

ご先祖様に意識を向けましょう、って言いたいわけじゃないんです。
(いや、もちろん向けることはいいことだけど、私がそれを誰かにおすすめして言うつもりはないってこと!やろうと思わなければやらなくていいと思う。)

私が、こんなふうに思えるようになったことで、
私が幸せな気持ちになったんです。
一瞬でも手を合わせよう、感謝していこう、って、
純粋に、自分の気持ちがそうなって、
私が幸せになった。

そうなれたのは、
日頃から「感謝」に意識を向けているからだと思うんです。
「感謝できること」「自分が恵まれてること」に意識を向けているから。
それを見つけて生きるようにしてるから。
感謝できたら、幸せになるってのは、絶対だから。。。

だからやっぱり、意識を向ける、って大事だなって思ったんです。

向けてないと、やっぱり向かないじゃないですか。
向きたい方、向かいたい方に、自分で向けないと、
無意識に、楽な方とか、本当は望んでない方とか、どうでもいい方とかに、向いちゃう。そうやって時間が経っていく。

だから、
意識していきたいことを自分で選択して、
自分で幸せになって行くことが、命を大切にするってことだし、
それが命の使い方なんだろうなって思うんです。
ご先祖様もみんなそうしてきたんだろうなって。

そんなことを思うようになった、夏休みでした。
(自分でも意外すぎ。笑)

意識、向けていきましょうね。
向けた方にしか、向いていかないですからね!
私も今日もやっていきます。

今日もきっと幸せです。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではまた★














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