断捨離は覚悟でもある

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

旧暦のお正月を迎えました。旧暦元旦(1月22日)私は娘たちの行事が重なりバタバタと過ごしておりましたが、明けました感がしっかりありました。

ここしばらく、少し元気がなかったんですね。何があったか一言で説明すると、内面のデトックス的なことがあったんです。そして気づきがすごい数とスピードでやってきて、ちょっと半分日常半分別世界みたいな時間を過ごしており、少し、エネルギーを消耗しておりました。それが旧暦元旦には少し楽になった感じがありました。生まれ変わった感というか。

たくさんの気づきをシェアしたいし聞いて欲しいので、色々と書いていこうと思っています。ちょっとディープな話題も、誰にも言った事ない話題も書いていこうと思っていますが、今日はマイルドに「断捨離」について、体感したことをシェアします。

断捨離って間違いなくすっごくいい事ですよね。必要なことっていうか。うんちするのと同じぐらい大事なこと(やらないと大変なことになる)もうそのぐらいやった方がいい事だと思うんですよ。師匠も、憧れの人も、お金持ちのあの人も、いわゆる成功してる人は、もうみんな言いますよね、大事って。私もそれは全く同感だし、常日頃から心がけてはいます。でもね、今回のこの旧暦年末の断捨離はちょっと違っていました。

今までは、ものが減ることが気持ちいいからやってたみたいな感じなんですね。確かに周りを綺麗にすると自分の内面も綺麗になります。部屋の空気が変わったり、自分の心の中までもがスッキリするのは誰もが感じてると思います。その人と心、そして取り巻く環境が密接に関係していることは紛れもない事実だと思うんですね。(これは風水的考えの基本でもあります。それはまた今度シェアします)部屋の状態は心の状態ってのは、本当だと思う。

私、今回の内面的デトックスで、思い込んでた色んな事を発見して、自分の中でもう要らないやって思えたものがたくさんあったんですね。考え、思い込みね。涙も流れたし、自分で見つけて分かって、自分で捨てようって思えたんですね。これ、すっごい大きいんですよ。(捨てたほうが絶対いいから捨てる、って感覚じゃなくて)大丈夫だから捨てるんだって思えたんですよ。捨てたいって思う気持ちと、捨てて大丈夫って感覚。目に見えない部分=心で起きたことが、実際の見える世界でも起きることを実感したんです。心の感覚が、そのまま、実際に物を捨てる時の感覚と同じ、要らないわ、無くても大丈夫って。すっごい、なんて言うのかな〜、気持ちいいというか、納得というか、そっか、断捨離ってこう言うことか、みたいな気づきがあったんです。

それで、これも腑に落ちたというかね、よく、人は不安から物を買うって言うでしょう?物を買うのと、持っておく(捨てられない)ってのも同じで、やっぱり不安からってほんとだなあって。自分の中に不安とか足りないと感じるものがあるから、それを何かで証明しようとしてるんだな、って。目に見えない足りない部分を、物で埋めようとしてるんだな、って。そこに、向き合えてない感情が残ってるんだなって。だから結局、感情の方と向き合っていかないといつまでも物が増えていくんだろうなって。物で誤魔化してたんだなって。

もう使ってないけど捨てられないものを置いておくことで、それが確かにあったことを証明しようとしてる。友達とのことや、好きな人とのこと。それが今でもちゃんとあるって思えないから、その時の物を持っておくことで、あると信じたいというか。あることを証明したいというか。あるってことにしたい(けど本当は不安で、確かめることもできない)ってことだと思うんですよね〜。

わからないなら、今はどうか確かめたらいいんですよ。大丈夫って思えたら、物は捨てれるんですよ。その気づいて欲しいものに気づいてあげたら、捨てれるんですよ。そのために残ってるんじゃないかな、古くなった物たちは。というか、やっぱり鏡なんだねえ!

捨てることができた分だけ、自分の中に残っていく目に見えない財産があるんじゃないかな。捨てるってことは覚悟だって、今回の断捨離で感じました。これなしでやっていく、大丈夫って、自分で決める作業だなって。

断捨離って奥深い!これからも継続的にミニマリストを目指していこうと思います。

皆さんもやってみてくださいね。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではまた^_^

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