どんな感情も愛しい。

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

先日「怒り」についての気づきがあり、急に愛しくなった「怒り」の感情。それについて調べたり思い出してみたりと、私の頭なかはこの数日「怒りって?」ということでいっぱいでした。怒りってのは、感情の蓋であったり、自分の価値観を教えてくれるものだったり、願いの現れであると。ふんふん。いちいちそんなふうに考えたことなかったなあ、これは大変だと。怒り、湧き上がってこい!と言う状態でした。

で、最初に来たプチ怒りがこれです。

旦那さんに「今日、こんなことあってこんなんで、楽しかったわ〜」と話しても「ほんで何?」「オチないんかい!」って言われることがよくあるんですね。で、昨日もそんなことを話したら、「え?それで?それだけ?」って言われたんですね。で、今まで何百回と言われてきたことなので、いちいちこちらも特に何も言いませんけどね、、、やっぱりちょっとカチンと来たわけです。よく考えたら、今までもその都度、プチ怒りがあったんですよね。揉み消していたけど。(それもよくなかったな〜)

でね、観察してみて気がついたことがいくつか。

これに怒った私は、その前に、悲しかったと言うこと。おそらく「楽しかった」と言う部分を粗末に扱われた感じがしたから。楽しかった、だから何?って言われたように感じるし、そんなことどうでもいいと思われている感じがしたから。だから、腹が立ったんですよね、きっと。

で、男の人に多いのかもしれないけど、気持ちなんかどうでもよくて、結果が全て、と考える人もいるじゃないですか。利益があるのかないのか、とか、最終的にどうなのか、とか、過程はどうでもよくて結果が全ての世界ってある。楽しかったかとか辛かったかどうでもいいから、結果が全て、そこが大事って人もいるよね。それもわからないでもない。旦那さんが、話にはオチがあって当然だと思うのは、関西人だからかもしれない。まあ、そこはいい。追求しないでおこう。

で、私は気がつきました。

私の場合は、いつも大体、相手が何を感じているかが知りたいんだということ。誰に対しても。それが分からないのなら一緒にいてもつまんないと思っている自分がいる。私は相手の本音に触れたい。だから本音で付き合いたいと思っているんだってこと。だから本音じゃない時間を過ごすことが嫌いだし、相手の本音に触れた時、本音で繋がれた時、すごく幸せを感じる。

そして、それは、自分自身に対しても思っているのだと。本当の自分に繋がりたい、私はそう思っている。そして、それが間違いなく幸せになる方法だと思っている。

そんな自分を発見できました。だからとても嬉しい。怒り、ありがとう。

そう考えると、やっぱり、どんなことも自分を知るためにあるなあって、そしてそれは自ら作り出してるってのも本当だなあって思うんです。そう思うと、全てが愛おしくなりませんか?

だから、誰のどんな感情も大切にするって決めました。自分のも、出会った人のも、出会う人のも。感じられるって、すごいことだよね。やっぱり「感じることは生きること」だね!

皆さんにも素敵な気づきがありますように( ´ ▽ ` )

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではまた!!

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