これ以上の言葉が見つからない

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま。

本日もお越しいただきありがとうございます。

子どもたちの学校生活が始まり、私も色々と始まり、このところはバタバタとしておりました。春ですね。みんな新しいことがスタートしているんだろうなと思います。

ここのところずっと思っていたことがあって、私の中でやっぱり一つの答えとなったことがあります。

私のブログのサブタイトルは「感じることは生きること」なんですが、やっぱりこれ以上の言葉が見つからないなって思ってるんですね。

なんのために生きてるか?って、別に考えずに生きていてもいいんですけど、やっぱりあると思うんですね、生きていたら、やりたいことは必ず。でも、それって何かになることとか、何かをたくさん持つこととか、そういうことじゃなくて、人は皆、何かを「感じたい」んだと思うんですね。やりたいことって「感じる」ことだと思うんです。感じるために生きてると思うんですね。

何かを感じたいから、何かやるんだと思うんですね。当たり前と言えば当たり前だけど。それを感じたいから、やる。感じたいから、やりたいし、何かやったら何か感じる。

だから、やりたいと思ったこと、やった方がいいと思うんですね。感じてるならやればいい。やるために感じてるんだし。感じてるから、やろうとするし、やれるんだし。

それは、その人にしか感じることのできない「やりたい」だし、その人にしか感じられない「やりたい」は無視しちゃいかんと思うのです。

そして、それをその人がやることで、他の「やりたい」と思わない人の気づきにもなると思うんですね。無駄はないんです。やりたいことはみんな違うし、でもだからこそ、みんなが誰かの役に立つんじゃないかと思うんです。

こんなこと思っちゃいけないかもしれないけど、あの人なんのために生きてるのかなとか思ったことあるでしょう?(私だけかもごめんなさい)でもね、その人はその人にしか感じられないことを感じてるんですよね。だから何も問題もないし、他の人が気にすることないし、不幸だと決めつけることはしなくていいんです。その人はその人の幸せに向かって、今感じたいことを感じている。他人からは分からないんです。

子どもなんかまさにですよね。とても不思議なことや大人には理解できないことするじゃないですか。それは、本人が何かを感じたくて、それでしか感じられないこと今、感じてるので、いいんです。何も心配しなくても。

みーんなそうなんだと思うんです。子どもも大人も体の不自由な人も、病気の人も、みんな。今感じたいことを感じてるから、誰も何も問題ないんです。

自分が感じたことは、自分にしか感じられなくて、無意識かもしれないけど、感じたくて感じてるんですよ、きっと。だからね、それをそのままにちゃんと感じてあげるってことが、生きるってことなんじゃないかと思うんですね。できれば蓋とかせずに。無視せずに。

でも、それって、いいことばっかりじゃないです。感じたくないこともある。でもそれを感じるから、その反対のことがわかるわけで。いいことだけ感じるってことはそもそも無理なはずなんです。しんどい時があるから元気なことを感じられるし、悲しいことがあるから、嬉しいがわかるんだし。私もずっと蓋をしてきたから、蓋したまま生きてたらどうなるかが分かったんだし。これはいかんと気づけたんだし。やっぱり陰と陽なんですねえ。

とにかく、感じてたら、それでいいんだなって思うんです。ただ、感じてるだけで。

しんどい時はそれを感じたらいいし、眠いなら寝たらいいし、無理したいならすればいいし、したいようにしたらいいんです。それしかないです。

そしたら、次の何かが来る。何かわかる。それでいい。

だから全部、ほんとに全部、それでいいんですよ、きっと。何も問題ないんです。(私、全部それでいいんだ、って分かったら、問題一気になくなりました)

感じるだけでいい、それが私の最近出した答えです。

どんな人も、どんな時も、できる。

ちゃんと感じる、それだけやればいいと思う。

それだけやれば、ちゃんと真っ直ぐに自分の道を歩けるんだと思う。

蓋したり、誤魔化したり、我慢したり、それをやめて思ったこと。

自分で自分のこと、感じるだけでいい。

感じることがヒントだし、体とか心は、そのセンサーだから。

みんなでやれば、めちゃくちゃ素敵な世界になると思う。

今日も自分を感じて生きていこう!

それだけできたら、もう十分!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また、これは続きを書きますね。

ではまた!

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