許可するゲーム

日常

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

雨ですね。雨もいい感じですね。諦めがついて、捗ることもありますね。

自分でもこんなことが起きると思ってなかったんですが、少し前から私は「許す」モードに入ってるんです。そして、ふと、前に読んだことのある本の中にあった「許可するゲーム」のことを思い出して、探してきて最近また読んだりしていました。
(金城幸政さんの「あなたの中のやんちゃな感情と付き合う法」)

その話を少し紹介します。
『陰で「年中不機嫌男」と呼ばれていた男の人がいて、彼は車に乗っていて赤信号に引っかかるたびに「また赤かよ!」と舌打ち、朝起きれば「なんだ、雨かよ!」雨が上がれば「せっかく傘持ってきたのに、晴れたのかよ!」といつも不機嫌で、周りもイライラして、本人もなんとかしたいと思っていました。
そんな彼に、金城さんが「許可するゲーム」をやってもらうことにしました。許可するゲームとは、することなすこと、見渡す限りの全てを、声に出して許可するというゲーム。「(信号が)赤信号になるのを許可する」「雨が降るのを許可する」と声に出して許可する。』

私はこれをやったわけでなはいのだけど、
これに似た状態が起きているんです。
そして、もしかしたらこれが普通になるかもしれないという感じがしてるんです。
普通にしていこうと。

「許す」というと、ちょっと上から目線で嫌なんですが、
思えば、一番最初にドカンと来たのは親のことだった。
ずっと恨んでいた(複雑すぎて、恨みだけではないんだけど)親のことを、
「そんなこともあるやろ」って自然と思えた時があったんですね。
「親は親のベストを尽くしたし、愛してくれた」
「私にはわからない苦しみが親にもあった」
「とにかくありがとう」
って思えたんです。

何年か前のその体験が、自分にとっては宝物みたいな体験で、
(だってまさか自然にそんなこと思える日が来るなんて思ってなかった)
そこから少しづつ、いろんなことが開けていった気がするんです。
もちろん、一気に綺麗にさっぱりなくなるってことではないし、
またすぐにいろんな気持ちが出てくるから、
そんな時にちゃんとそれを拾い上げていくっていう
地道な作業がそこから始まった、というだけのことなんだけれど。

その作業を継続しているうちに、
いろんなことに対して、許せるようになっていったんです。
旦那さんや子ども、いろんな人、こと、に対して、
「それでいい」
「そんなこともある」
「(ただ)そうなんだ」
って、受け入れることができるようになったんですね。
「なんの問題もない」
「あるとしたら、自分が作ってるか、自分の中に何かあるか」
って、思うようになったんです。

ほとんどの問題は、自分が作ってるってことも、
聞いてはいたけど、
それ本当かもしれない、って気持ちにだんだんなってきて。

でも、問題を作ってるってことが、別に悪いことでもなくて、
作るには作る理由があって。
だから、そう感じるのなら、それはそれでよくて。
問題があったとしても、それにはその意味とか理由があって、
ちゃんと向き合えばいいだけであって。

許せないことが出てきたとしても、
それが何故なのか、考えたらいいのだし、
許せないことを許せば、いいのだし、
それができたら、得しかないかもしれん、と。

そう感じるようになったら、
なんか全部OKになってきて。
めちゃくちゃ楽になってきたんです。

で、これは結局のところ、
自分を許したからなんだろうな、って思うんですね。
(それに気づいた話はまた今度聞いてください。)

外の世界は、自分の内側が映し出された世界ってのも、
もしかしたら、本当かも、って実感している、この頃。

今日は世界がどう見えるかな!!

今日も雨の素敵な一日。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ではまた!

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