拗ねていた

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

少し前に、気がついたんです、私。
素直になりたい、と思った時。(先日の記事

私、拗ねていたんだなあ、と。

私の自己受容の先生あやかさんから
以前出してもらったワークで、
「今自分はどんな自分ですか?」と言う、
すごく良くて、
以後大切にしているワークがあります。

今の自分は、
どこに住んでで、どんな家に暮らしてて、
どんな人といて、どんなことをして、
どんな仕事をしていて、、、と言うことを
自分で確認、と言うか
表現してみるワークなんですが、
出てくるものは全部、
紛れもなく、
自分で選んだこと、
過去の自分が願ったこと、

なんですね。

で。
あるに目を向けてみると、
すごくあるんです。
すでにあるんですね、いろんなものが、
私の周りには。
全部自分が望んで、手に入れてきたものなんです。
それがよく分かった。
だから、
そのワーク以降、
もっともっと、自分が望むものに真剣になったし、
今の私は過去の私が作ったもの、と言うことが
よく分かった。

でも、
あるのに、
感謝するとか、受け取るとか、ってことが
できてなかったものもたくさんあることに
どんどん気がつくようになって、

ああ、自分は拗ねていたな、って
分かったんですね。

本当は、
ずっとずっと欲しくてたまらなかったもの、
私にとっては
安心できる家庭、
リラックスできる家、
自分らしくそれぞれが自由でいられる家族、

そういったものが、
すでにあったのに、

なぜか、
スッキリしなかったんですね。
それがあって、
ありがたくて、
幸せだって、
思っているのに、
素直に言えないような部分があったんです。

でも、分かった。

大事で大事でたまらなくて、
だけど大事すぎて、
失うのが怖くて、
それはきっと、
小さい頃の
「無くなるなんて思ったこともないものが
突然消えてしまう体験」のせいで、
その悲しみをまた味わいたくなくて、
感じないようにしていたんだな、って、
分かったんです。
まだ悲しみが疼いていたんだな、と。

でも、
それだけ心底、
大事にしたいものなんだな、と。
望んでいるものなんだな、と気がついたんです。

だからこうして、
ちゃんとあるのに、

自分の中の怖れのために、
素直に喜びを表現できないなんて、
何じゃそれは!!となったんですね。
それは嫌だ、と。

足りないのでもなくて、
誰かのせいでもなくて、
私が、怖くて受け取れてなかっただけ、
それができないから、拗ねてただけ。

だから、それはもうやめよう、って
思ったんです。

拗ねてた自分に気づいたら、
またいろんなことがクリアになってきて、

怖れず、
自分が思う大切なものを、
本当に大切にしていこう、と
思うようになりました。

そしてすごく軽くなった。
でもまだまだ私は軽くなれるだろうし、
自分の人生作っていけるなあと思うと、
楽しみ。

みんなも大切なものと素敵な一日を
送れますように。

紅葉、綺麗ですよね〜。
どこかに見に行きたいなあ!

今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました!

ではまた♡

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