今日もこの星のどこかで生きている
愛しいあなた
本日もお越しいただきありがとうございます。
少し前、久しぶりに、
人間関係で衝突があったんです。
少し落ち込んだのですが、
その後にとても大きな収穫があったので、
その話をシェアします。
どんな“衝突”だったかというと、
その瞬間は、
良かれと信じてやってたことを、
ひどく注意された、と感じてて
“理不尽なことを言われた”
と思っていたんです。
自分は
交通ルールを守りマナーも問題なく、
なんなら鼻歌まじりで運転していたら、
ここはお前の走る道じゃない、
と言われた感じ。
いや、通っていいと言われたし、
みんなすれ違う時笑顔で挨拶してくれたよね?
え?違うの?自分だけおかしなことしてた?
知らない間に、迷惑かけてた?
んで、今すごい怒鳴られた?
みたいな感じ。
泣くのを必死で堪えて、帰りました。
不意な事故に遭った、そんな気持ちでした。
でも「事故」と言っているのは、
お互いに、悪意があったわけじゃなくて、
どちらにも原因があったと思っているから。
数日の間、振り返る中で、
反省点も出てきました。
そして、さらに数日経って、
だいぶ傷も落ち着いてきた頃に、
私はある一つの教えを試してみました。
星の師匠の言葉です。
「理不尽なことがあった時、
なんで私がこんな目に?と思った時、
同じことを自分も
過去に誰かにしてきたんです。
そう思ってみてください。」
まず、
“私はこの時何が嫌だったのか?”
と考えた時、
“良かれと思ってやったことが
実はそうじゃなかった”ことよりも、
“同じ方向を向いていると信じていた人に
線を引かれたこと”よりも、
一番嫌だったのは、
“コントロールを感じたこと”
だったんです。
そこまでわかった時
「あ、私も過去にやったことあるわ」
となったんです。
子どもに、旦那さんに、親に、
同じことをしたことがあったと
気がつきました。
そうすると、
“なんであの時の自分は
そんなことをしたんだろう?”
と思えたんです。
だから、聞いてみました。
当時の自分に。
人は、
誰かをコントロールをしようとする時、
必ず、何かしらの
“不安”を抱えています。
だからそれを軽くするために
コントロールしようとします。
自分の不足感や不安感があるために、
相手を動かすことで、
一時的に安心感や優越感を得ようとします。
コントロールの裏には、
認められたい、不安から逃れたい、
そんな感情が隠れています。
これを考えた時、
ナチュラルに
良かれと思ってやっていたことの裏に
実は“不安”とか、
どうにかできるかもしれないという
“期待”(=コントロール)が
自分の中にもあったことに気がつきました。
そして、
実は過去にも似たようなことが
何度かあったことも思い出したんです。
仲良かったはずの先輩から
突然、意地悪されたりとか、
見ず知らずの方から、
見てるのが辛いからフォロー外しますと
わざわざ連絡があったりとか、
プロジェクトチームのメンバーと
意気投合がエスカレートして
なぜか分裂してしまうとか、、、
似たようなパターンが。
なので、きっとこの時も、
私の方から
コントロールのエネルギーが
出てしまっていたのかも、と
今になって思いました。
本当に鏡だな、
今回のことで、さらにそう思いました。
そして、
それを映し出す自分の在り方には
無自覚の部分もあるとわかり、
整え直す良い機会となりました。
それと、
自分が“被害者”になりきらないこと。
被害者になる、ならないは、
自分が決めているということも
よくわかりました。
自分が何者であるか、は
自分で決める。
事故も、どんなことも、
現実に見えるものは全て
やっぱり鏡ですね。
現実が答え合わせ。
そう思えたら、
どんな出来事も“学びの味方”に
変わりますね。
わたしたちはどんな世界を作っていくのか。
楽しんでまいりましょうね♡
今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
いつもありがとう。
ではまたね。

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