親のコピー

わたし

今日もこの星のどこかで生きる愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

先日、チラッと寄ったページで、出会った言葉について。ちょっとあんまり楽しくない話になりますが、ごめんなさい。

これは前置きですが、私は、10歳の時に、父親が突然家を出て行ってしまうという体験をしています。(過去記事)原因は父の事業での借金で(家族誰も全く知らなかった)その家をすぐに出ていかないと行けないという状況に突然置かれ、しかも本人は失踪している、という最悪の状況でした。残された自分も含めた子どもたちと私の母親は、それはもう、思い出すのも辛い、崖から突き落とされた様な、いやそれよりも辛い地獄の様な、悪夢のような時間を過ごしました。両親は離婚し、私たちは2週間後にはその家を逃げるように出て、知らない土地に引っ越していました。これまで生きていて、後にも先にもそれ以上に悲しい出来事はないと思うと断言できるほど絶望した出来事でした。10歳のときの出来事で、その時から、人生は一変しました。一変というより、、、始まったのかな。

大好きだったお父さんは、きっと帰ってくると信じてしばらく生きていたんですが(ドラマみたい。。。)そうもいかないと分かってきます。(子どもって、ほんとよく分かってます。10歳は、もうなんでも分かってます。)そんな淡い期待はどんどん薄れていって、現実を知らされていき、いつの間にか私の中で、父はひどい人、みたいになっていきました。そして、そんな想いをもったまま、大人になり、自分も結婚して、子育てして、その子どもが10歳を迎えて、、、癒されていった部分や気がついたこともたくさんありました。でもね、昨年、すごくすごく大きな気づきがあって、いろんなことを根底から見直すような、そんな自分が出てきたんですね。

そして、先日チラッと出会った言葉。「離婚は夫婦の終わりではあるけれど、子どもとの親子関係の終わりではない」(ちなみに、うちは当時離婚後も自由に父親に会えるような感じではなかった、色々な事情で、、)

そっか。こう聞くと、すごく当たり前だけど、自分はそんなふうに思っていなかった!そんな視点がなかった。抜け落ちていた。抜け落ちていたというより、、、何かに覆われていたんですよね。

何かというと、母親の気持ち

父との思い出とか、大好きだったこととか、優しかったこととか、嬉しかったこととか、そういうのが、覆い隠されてしまった。母親の受けた屈辱とか苦労とか悲しみとか怒りに。私はそれを母と一緒になって抱えていないといけない様な気がしていた!!そうやって生きていた。。。

セラピストさんのサポートもあり、昨年気がつけた大きな事ってのは、自分が親のコピーをしているってこと。コピーを生きているってこと。全部じゃないけど、無意識に親のコピーを生きている部分が結構あるということ!これ、無意識に!

でね、それに気がついた時、かなり衝撃だったんですね。普段から結構、自分の内面は丁寧にみていたつもりだったけど、まだまだだった。またもう一つ扉開けたって感じがあった。これはいい、これはだめ、って自分が思い込んでることって、親のコピーが結構あるなって。これは怖いとか、危ないとか、これはやめた方がいいとか、親から言われたり、親がそう思ってる、そうしてることを、そのまま自分もそうなんだって思って、引き継いでるなって。たとえば、お金は怖いとか、男の人は信用できないとか、商売なんて危険とか。でも、それを自分で確かめたい自分がずっといたのもわかるし、それはきっと母親にも伝わっていたと思うんですよね。好きな様にはさせてくれたので。(そこは本当に感謝している。)

昨年、母親のコピーを生きてきた部分があったと知ってから、気がつけばそれを修正し、考え直して、本当の自分の選択は何なのか、を見る様にしてきたんですね。それは、さらに自分を自由にしてくれたし、この気づきは大きかったんです、本当に。言われてみれば、他人から見た母子って、そっくりですよね。笑 そうなんですよ。気づいてないのは本人たちだけ。コピーです。それを知って、コピーは嫌だなって思ったんです、私。だから一つずつ、生まれ変わっていきたいなって思ってます。気づいた去年から。

そんな私が、最近気になってるのは、父親とのこと。。。これは今年、何かありそうだって思ってます。

また聞いてくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた★

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