私がずっと欲しかったもの

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

この数年ではっきりわかったことの一つに、私が欲しかったものがあります。それは「自由」。

自分の内側を旅し始めてから、申し訳なさそうに少しずつ姿を現してくるようになった私の本音。それは「自由でありたい」と言う思い。

と言うことは、自由じゃなかったってことね。って分かった。自由そうにしていたけど、自由じゃなかった。もっと自由になりたいってのが本音なんだなって分かった。(この数年の間に、いろんな人から自由じゃないとダメになる人だとよく言われた。きっと当たってると思う。そしてきっと人に言わせてるよね、私。笑)

そう。今まで生きてきて確かにいつも嫉妬してしまうのは「自由な人」だった。そして、そう言う人に共通しているのは、自分にとても甘いと言うこと。そう言う人が羨ましかったんだ、私は。

そして、もちろん、その後に、自分を自由にしてなかったのは自分だったと言うことも分かり。そこのあたりを自覚してから、間違いなく、また一つ人生がいい感じになった。

自分を見つめ始めて、どうしても思い出さないといけなかった過去の辛かったことや、自分がやってきたこと、それらを受け止めることはとても辛かったりはしたけれど、(そしてそれは今でも継続中で、きっとずっとやっていく作業だけど)ありのままを許してこなかった自分が全てだなあと、今は思っていて。許せなかった、その時は許し方が分からなかった、受け入れられなかった、そんな自分もその時のベストは尽くしたんだって思えた=そんな自分を許せたことは、自分をすごく癒すことになった。以来、自分を許す、と言うことは意識的にやっています。

こうじゃないとだめ、なんてこと、本当はないんだと思う。そう思っているとしたら、それを言っているのは自分の思考。誰かに言われてると思っているのだとしたら、その誰かの何かを採用してるのは自分。結局は、自分を縛っているのは自分でしかないんだと分かりました。鎖を解いてあげれるのも自分しかいないのだよね。

自由になりたい、と自分が思っていることがわかってから(そう思う自分を許せるようになってから)それでも一言に「自由」と言っても、「自由」ってなんだろうって時々考えるんです。今でも一言で言うのは難しい。

でも、自分の感覚をありのままに、表現、体現、することができることが自由ってことだと思うんですよね。そしてそれを邪魔するものは自分の思考や思い込み。

私は、長い長い間、自分の感情に蓋をして生きてきて、それはとても苦しかった。自分の感情を隠して生きてきたところがあるし、だめだ、もっと、我慢だ、頑張れ、って、本当にいじめすぎてたと思う。だから、これからは本当に自分に優しく、感情を殺さないであげたいと思っているんです。

もっと自分の感覚を許して自由にしてあげたい。

人だけじゃない、言葉や、出来事や、目に映ったもの、自分が選んだ全てのものが、今そう思っている私をここに導いてくれたんだと思います。

無駄なものなんて一つもないよね!

今日も素敵な1日になりますように。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

ではまた!!(^ ^)

コメント

タイトルとURLをコピーしました