「言わんといて欲しかった」

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

わ〜い冬休みが終わった〜!俄然やる気の私です。笑

私は朝に言葉を受け取ることがよくあるのですが、昨日の朝「本音で生きる」って言葉が浮かんだんですね。で、このところ、自分のしんどい時を観察していて分かったんですが、自分にとってしんどいことって「本音じゃない=嘘」なんですね。嘘は、プロフィールに書くぐらい、一番嫌いなものなんです。嫌いというか、私自身が一番苦手なこと。すごく疲れるんです。お世辞とかも苦手だし、愛想笑いとかもできないんです。そんな堅いところは、短所でもあるし可愛くないところでもあるって自覚もしてます。でも、無理なもんは無理って感じなんですね。だから、本当のことを言ってない時が一番苦しいんです。でも言いたくても言えないって時がやっぱりあって、自分にとってそれが最上級の苦しみだってことがわかったんです。この数ヶ月、悩んだことを突き詰めたら、全部それだった様な気がするなあ。

で、分かったことは、言えないことを人のせいにしてきた自分がいたなあってこと。相手が怖いから、相手がわかってくれないから、聞いてくれないから、と相手のせいにしていたなあと。でも本当は相手のせいじゃなくて、言えない自分がいたなあって気がつきました。言えない自分は、なぜ言えないのか、色々と考え、気づきがあった数ヶ月。もうこれは自分が少しづつトライしていくしかないと思える段階に突入しました。

で、昨日ふと思い出したこと。今の旦那さんと付き合ってる時に、内容は何だったか忘れたんですが、私が正直に何かを話したことがあったんですね。そしたら「言わんといて欲しかった」って返事が返ってきて、度肝抜かれたってことがあったんです。私は、なんでも正直に話すってことが誠実なことだと思って生きてきたので、今まで正直に話して嫌がられたことはなかったんです。だから、そんな風に思う人もいるのかと思ったのを今でもはっきり覚えているんです。(正直に言うと言っても、言い方とかタイミングとかはしっかり考えますよ!ここで言うのは衝動的に言うってことではないです)

私は、どんな内容であれ、それが自分にとって悲しい内容であっても、真実が知りたい人なんです。でも、そうじゃない人もいるんだってことを初めて知った瞬間でした。知らなくていいこともある、わざわざ悲しませなくていい、みたいなことをその時も言われた気がします。(で、当時は、それはおかしいとかなんとかで喧嘩になったはず)

で(実は昨日も同じ様なことを言われて)思ったんです。もちろん、どちらが良い悪いじゃなくて、どちらも愛なんだなって。その人なりの愛とか正義とか優しさなんだなって。でも、そうだとしても、何かを傷つけてしまう可能性もあるんだなって。

私みたいな人は、隠されたり、誤魔化されたりしたら、本当のことを言って欲しかったと寂しい気持ちになるし、旦那さんみたいな人は、聞きたくなかった、言ってほしくなかったと悲しむ。自分では良かれと思ってやったことが、必ずしも相手にとってベストじゃないってことだなって。何においても、誰も傷つかない、負担がないってことは、ないんじゃないかなって思ったんです。どちらも、誰も、傷つけようと思ってやってるわけじゃないんですよね、傷つけたいとも思っていないし。でも結果的に傷つけることもある、自分とはそういう存在だってことを、もう受け入れるしかないなって思ったんです。ちょっと悲しいけど。そこはもう覚悟するしかないと。

父がね、家族を置いて黙って失踪して、なんて酷い人だと長い間思っていたんですけど、近年、それも父の愛だったって思えるようになったんですね。私にとってベストではなかったけど、そこには父なりの愛はあったんだって。

真実を知ろうとする人には、それを知ることで感じること全てを受け止めるっていう覚悟があるし、真実を言わない人には、自分が一人でそれを抱えるという覚悟があるし、どちらも愛だなって思うんです。どちらも強さだと思うし。いろんな形があるだけ。

どちらが良い悪いではないし、正解もないし、合わせる必要もない。関わらない自由も自分にはある。ただ、そこで「理解」しようとできることもまた愛なんじゃないかなって思ったわけです。そして傷ついてみないと、「理解」もできないのではないかと思ったわけです。

だから、やっぱり全部、うまくいっている!

なので、安心して今日も楽しんでいきましょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた★

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