猛反省したこと

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

私この数年でほんとうに反省したことがいくつかあって、その一つは、「我慢してきた」ってことなんですね。私、小さい頃、正確には父親が出て行ってから、我慢の連続だった気がします。生きること=我慢、ぐらいに思っていたかも。

父親が突然いなくなって、本当はとても悲しかったんですけど、その時から、自分の感情に蓋をしてしまったんです。悲しいとか、言いたいこととか、泣きたかったこととか、こうて欲しいとかか、そういう自分の気持ちを(全部じゃないけど)殺してきたんです。出せば、母に迷惑がかかると、悲しませると、負担をかけると思っていたんですね。そして、自分がしっかりすれば親を元気にできると思って、力になろうと、とにかく頑張っていたんですよね。頑張りすぎていたんですね。そう、もう、頑張りすぎたんです、私。

で、その癖を持ったまま大人になって、(私の場合は、他にも色々複雑なものはあるからそれだけじゃないけど)すごく苦しんだんですよね。頑張りすぎる癖があることで、色々苦しんだんですね。苦しんだ、というか、違和感が本当はあったんですね。モヤモヤが。でもそんなもんなのかなと思っていたので、どうにかしようとも長い間思わなかった。若い頃はその違和感に真剣に向き合うってことがまだできなかった。他に楽しいこともたくさんあって、紛らわせることもいくらでもできたし。

それが、これはなんかおかしいぞって気づきがあってから、新しい人生が始まった感じなんですね。ようやくそのモヤモヤを見つめることができた。自分は、我慢する癖、頑張りすぎる癖があって、それは小さい時に身につけたことで、その癖が残ったままになっている、ということに気が付くまでにも時間がかかり。そんな自分を認めるまでにも時間がかかり。口に出して人に言えるようになるまでにも時間がかかり。そしてようやくこの数年で、癖が出てきたら直すを繰り返し練習している、まだ最中なんですね。

この数年で、これまで我慢してきたことを本当に反省したんですね。自分が自分にそんなことをさせていたことを。自分が自分を殺してきたことに気がついて、なんて酷いことをしてきたんだって。自分を大切にできてなかったなあって。それがね、自分でも時々辛くなってしまったりして落ち込む、の繰り返しです。笑 だからこれからは絶対に、自分を大切にしようって思ってます。

でも、もう我慢しないって決めたことはすごく大きかった。我慢って、いいことひとつもないですよね。本当にそう思います。(自分を殺すっていう我慢ね。)我慢することやめたら、ずいぶん楽になるし、自分の思う道に進める。考えたら当たり前ですよね。だって我慢って、自分に嘘つかせてるってことだから。そりゃあ我慢してたら、自分の思う道にはいけない。道に迷います。

でね、もうひとつ思うこと。最近、我慢してる人といるのがしんどくなってきてしまったんですね。頑張って我慢してる人とは楽しめないなあって思うようになってしまった。ああ、こうやって付き合う人も変わっていくんだなって思いました。

我慢をやめると決めてから、自分は我慢してないかな〜って見る癖がつきました。してるなって思ったら対処する。しちゃうときはそれを正当化する理由を並べちゃってたりするんですけど「我慢はしない!」「我慢してるならやめる」とシンプルな選択に戻る。癖ってすぐに治らないから、練習は繰り返すしかないけど、そんな視点を持てるようになったのはすごい大きなことだった。確実にいい方向に進んでます。

我慢、してないですか? 意外と、やめてみても大丈夫ですよ。

今日も素敵な1日になりますように。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

ではまた★^ – ^

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