今日もこの星のどこかで生きている
愛しいあなた
本日もお越しいただきありがとうございます。
今日は、読んでいた本に書いてあった
「幸せの四段階」について、
すごく良かったのでシェアします。
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幸せには「快楽」「幸せ」「喜び」「至福」
の四段階がある。
①「快楽」は、
肉体的で生理的なもので、
性的なものや食べ物に対する執着にもなり得る。
肉体に根差したもので、
上辺(うわべ)に対しての単なる刺激。
それは自分の「周辺」であり「中心」ではない。
この「周辺」で起こり続けている「快楽」
を追求して生きていると、
偶然の出来事に振り回されてしまう。
「快楽」がそもそも表面的なため、
外側の状況に依存するしかないから。
強い風が吹けば、波が起こる、
風が消えれば、波も消える、のように、
独立して存在していない、つまり依存的なもの。
依存的で、表面的なものは、
単なる外側からの「刺激」に過ぎなくて、
それに反応し続けていると、いつか反応しなくなる。
つまり、飽きる。違う新しいものが欲しくなる。
なぜなら、
快楽そのものが新しいものを追いかけることだから。
快楽は、
新しい希望や欲望を作り出すことしかできない。
とどまることがなく満たされることはない。
②「幸せ」は、
快楽が肉体的なものなのに対して、
もう少し洗練されていて、精神的なもの。
快楽は原始的で動物的、
幸せは少し文化が発達していて人間的。
でも、快楽との差はあまりない。コインの表裏。
③「喜び」は、
快楽や幸せとは全く違う。
外側とは全く関係がない。
他人とも全く関係がない。
何かによって生み出される刺激ではない。
内面的な現象。
状況に依存しない。
あなた自身のもの。
平和で沈黙した状態。
④「至福」は
喜びをさらに超えたもの。
肉体的でも精神的でも内面的でもなく全体的。
自分の存在のもっとも深い中心に
到達していることを意味する。
沈黙だけが広がっていて、
喜びにはあなたはまだいるが、
至福にはあなたはいない。消えている。
これをブッダはニルヴァーナとよぶ。
快楽は「一時的なもの」で「至福」は永久。
ここには時間がない。
「快楽」は人から奪わないといけないが、
「至福」はすでにある。発見するもの。
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と、まあこんな感じ。
なんだか難しい話になってきたけれど、
快楽や刺激を次から次へと求めても、
終わりがなく満たされない感じとか、
なんとなくわかる気がしない?
④の「至福」は、
私的には、死ぬ時にわかることなのかな?
みたいな感覚で、
ちょっと遠くのことに感じるけど、
①②の「快楽」「幸せ」を超えて、
③の「喜び」を「感じる」ことは、
まさに、それが生きることだ、と思っていて。
そのために全てがあるんじゃないかと思ってもいる。
この時に大事なのは「気づき」だと思ってて、
この「気づき」が私にとっては「喜び」だ。
「気づき」ってのは、外から得るものじゃない。
もちろん、外からの知識とか学びは大事だけど、
その上で「気づき」は内側からくるもので、
それは「見つける」とか「感じる」とか
そういう感覚のもので、
今のところの私の一番の喜びがそれだ。
なぜか?と言われても、
それが喜びだと感じるとしか言えないけれど、
きっとそれは
本当の自分を知ることで、
自分のパワーを取り戻すことなんじゃないかと
思っている。
実際に、内側を見て得た気づきは、
自分の中で循環して、
繰り返すほどに自分が強くしなやかに
なってきてる気がする。
外側を、いくらペタペタと塗り替えても、
満足しない感覚があったら
それはもう、向きを変える時だと思う。
内側に目を向ける時。
喜びを感じにいく時。
快楽も幸せももちろんあっていいし、
求めていいと思うし、
それは楽しみの一つだけど、
それがゴールにはならない。
私たちは快楽のために生きているのではない。
そのことを20年近く前に、
ヨーガの学びで聞いたんだけど、
言葉だけがずっと私の中にあって、
それはこういうことを言っていたのかもと
最近自分の中で少し消化されたんだ。
だから私も書いてみたよ。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとうありがとうありがとう。
いつも本当にありがとう!!!
ではまたね!!(*´▽`人)♡
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