期待することをやめる

今日もこの星のどこかで生きている
愛しいみなさま
本日もお越しいただきありがとうございます。

昨日、少し落ち込むことがあった。

実は実家への帰省が延期になったのは、
8月に入って母が入院したからだった。
血糖値が高いために食事療法のための入院。

入院自体は重大なことではないのだけど、
高齢なのは事実で、
離れて暮らしている私にとっても、
気がかりなことが少しづつ出てきている。

幸い母には、
そばで様子を見てくれている親族や
友人はいるけれど、
今後私の出番もあるだろう。

どこの親子もだと思うけれど、
色々、色々、色々あったので、
複雑な思いや、
消化したつもりでいたけど、
今回再燃した思いもある。

そんなことがあった夏休みで、
淡々といつも通り生活してはいるけど、
どこかそのことがずっと気がかりでもある。

この重たいものは何なのか、
私の不安の正体は何なのか、
日々、自問自答している。
不安は、怖さは、
ちゃんとみることで消えていく、
そのことも実感している。

それでも、
新たに勉強しないといけないこともあるし、
直面して戸惑ってることもあるし、
1人で抱えることは無理だということも、
感じていて、
自分を壊さないように大切にしながら、
人にも頼っていくということを、
私はきっと学ぶのだろうと思う。

そんなふうに自分を冷静に保ってはいたけど、
昨日は少し落ち込んだ。
私が母に送ったメールが、
母にとってはとても堪えたようだった件で。

私は、少しでも明るい気分になってほしくて、
書いたつもりだったけど、
逆効果だったようだ。
(何度読み返しても、きついことは書いてない)

正しいことを言ってるかもしれないけど、
それがとても残酷になることがある。
そのことを一晩経って、私も理解した。
今の母には、堪えたのだと思う。
私の正しさや明るさが。

私は、それを理解してあげられない、
不甲斐なさや、無力さ?を感じた。
病院が退屈で食事も良くなくて、
母も滅入っているとはいえ、
私の励ましの言葉が、
これまでのようには届かないことに、
寂しさも感じた。

そして、それよりも、
自分が母に、
「元気になってほしい」と、
期待していたことに気がついた。
そして、それを手放そう、と思った。

思えば、子どもにも
そう思ってしまう私がいて、
その私に私自身が長年苦しんでいた。

私は、家族に対して、
「元気でいてほしい」と思ってしまう。
それはおそらく、
自分のことを後回しにして、
自分が元気がなくたって、
家族のことを元気にしようと消耗してきた
子どもの頃の自分が関係してる。
どこかで、その時の考え、癖が、
残ってるのだと思う。

私に受け止めることができるだろうか、
何とかしてあげないといけない、
味方や理解者がいない、
そんなプレッシャーが、
蘇ってくるのだと思う。

私を不安にさせないで!
私を安心させて!
怖いよう!!
そんな気持ちになる。

でも、それをもうやめたい、と思った。
期待は、コントロールだ。

私を安心させるのは私。
今はそれができる。
家族であっても、
私は彼らをコントロールできない。
こうなって欲しい、と
期待することをやめよう。
そのことに
思考とエネルギーを使うのをやめよう。

そう決めた。

母のおかげで、
何だかすごく大きな、何かが剥がれた、
そんな気がした。

どんな母だって、
私を産んでくれた人なんだから、
感謝してるし、
もしそれが伝わらなくなる日が来ても、
私も母も、いい方にしか向かっていない。
そう思うし、信じてく。

さて、どうなっていくかな〜。
ぼちぼちいく〜。

今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
いつも本当にありがとう!!( ᵕᴗᵕ )

ではまた!!




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