自分で自分を見る

今日もこの星のどこかで生きている
愛しいみなさま
本日もお越しいただきありがとうございます。

「あなたが自分だと思っているものは
自分ではない。」

20年以上も前に、
ヨーガの師匠に言われた言葉です。
瞑想の学びの時だったと思います。

私は「どうせ」という言葉を使う人を見ると、
悲しくなります。
「どうせ、そうなる」と決めているのは、
その言葉を発している自分。
自分で自分のことを「どうせ」とする、
その行為がとても冷たく感じて、
悲しくなってしまう。

きっと頭では
「どうせ」なんて言葉を
使わない方がいいと思っていると思う。
でも、
癖で使ってしまう自分、
その無意識な自分、反射的な自分、
そんな自分のまま、
それが自分だと思って疑わず
生きてる人は大勢いると思う。

あ、今、癖が出たな、
あ、また言ってしまったな、
あ、今、無意識だったな、
と、見ることができる自分、
つまり、その意識、
それが本当の自分。

そこに集中すること、その練習、
それが瞑想だと
当時の私の解釈はそうだった。
瞑想すると、
確かにその「自分を見ている自分」を
感じることができ、
初めて体験したときは衝撃だった。

この、自分を見る自分=本当の自分
を意識できるかできないかは、
3歳児と大人ぐらいの、
徒歩と車に乗るぐらいの、
そのぐらい大きな差があると思う。

これが意識できないと、
無意識のままに生きていくことになる。
意識できて初めて自分の人生が始まる、
そのぐらいのことだと思う。

「どうせ」と言ってしまう人は、
自分が自分を「どうせ」と扱っている、
その自分を見れていない。
どうせ私は、と、
自分で自分をそこ(どうせの場所)に
置いている。

私もやっていたけど、
今はだいぶ意識できるようになった。
この練習は続いていくしゴールはない。
むしろ始まったところ。
無意識な自分には、
絶対に戻りたくないと思う。
(戻れはしないけどね)

自分を自分で操縦していくんだ、
そう思えた人は、きっと、
そのために必要なものを集めにいく。
自分のために、
人に何かを習ったり、
意見を求めたり、
占いなんかもやってみるかもね。
自分の無限の可能性を感じるから、
もっと自分を知ろう!体験しよう!と
思うようになるよね。

自分で自分を見る、
これは、地道な作業で、練習あるのみ。
瞑想でもノートでもなんでもいいけど、
始まりは、
本当の自分がいることを知る、ってこと。

本当の自分を知ろうとすることは、
自分への愛だから、
まずは少しでも、
自分を大切にして欲しいなって思う。
自分のことを「どうせ」とか、
言わないであげて欲しいなって。

無意識的な生き方から、
意識的な生き方への変化は、
そんな小さなことから始まるよ。

今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
いつもありがとう!!

ではまた(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”





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