今日もこの星のどこかで
生きている 愛しいあなたへ
今日も来てくれてありがとう!
人は自分の才能を封印してしまうことがあるーーー
そんな話を聞いたことはありますか?
今日は、自分もそれをやっていたことに
最近気づいた話をシェアします。
私の兄はダウン症で
言葉でのコミュニケーションは
普通の人と比べると不自由だった。
なので、私は言葉以外のことから、
いろんなことを感じ取る、ということを
当たり前にやってきたように思う。
それは、
自分や家族の、調和や安全のために、
“必要なことだ”と自然に感じて、
気づけばできるようになっていたこと。
言葉がなくても、今どんな感じなのか、
緊張してるな、無理してるな、
元気ないな、イライラしてるな、
喋りたいんだな、悲しんでいるな、
喜んでいるな、穏やかだな、、、、
なんとなくわかる。
(今書いていて気づいたけど
介護してる人とかもそうかも知れないね)
こういう感覚は、
何も“特別な才能”というわけではなくて、
そういう環境の中で磨かれていくもの、
だと思う。
そんな環境は、
望まずして与えられるものかも知れない。
私自身、その環境を恨んだこともあった。
それでも、私はそんな環境で育ち、
きっと、兄だけでなく、
いろんな人の気持ちがわかる、
そんな人間だったと思う。
意識はしてなかったけれど。
ある時、母が不在で、
私が兄と二人で
叔母の家で夕食をお世話になった時、
兄の体調が悪くなったことがあった。
兄は、自分でそのことが言えなくて、
なぜか私がそれにいち早く気づいて、
みんなで対処できたってことがあった。
この時、大人たちがちゃんと助けてくれたけど、
私はとても不安だった。
“兄の気分だけでなく、
体調にも気を遣わなければならない”
そんな責任感が芽生えた瞬間でもあった。
そして、それは、
まだ小学生(か中学生ぐらい)の私には
荷が重すぎた。
“自然にやる”という感覚ではもう無理で、
私の元々強い“責任感”が
膨らんでいくきっかけでもあった。
そしてこの時私は、
“人の気持ちがよくわかること”は、
“私をしんどくさせる”ことーーーー
そんな思い込みを抱いてしまって、
自分が自然に磨いてきた才能を
自ら封印したと思う。
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自分の才能や個性が原因で、
何か辛いことがあったりすると、
人はそれらを封印してしまうことがある。
自分を守るために。
でも、本当はーーーー
ずっとやめられなかったことや、
どうしても消えなかった興味や情熱、
誰に知られるでもなく自然と磨いてきたこと。
誰にでもあるんじゃないかな。
きっと、それは、
それを磨くことになった環境も含めて、
“唯一無二の才能”なんだと思う。
たとえそれが、
あなたの望むものではなかったとしても。
辛かったことも
封印しないといけなかった事も含めて
あなただけに用意された“ギフト”なんだよね。
頑張ってしまうこと、やってしまうこと、
やめられないこと、それは、才能。
辛いのは、バランスが崩れただけ。
否定することはない。
唯一無二のギフトを
受け取らないなんて勿体なすぎる。
だからこそ、
自分を知ることや、
関心を持つこと、自分に問うてみること。
それがバランスをとることの始まり。
自分って、本当に深くてね、
まだまだ未知だな〜って思う。
きっと、
自分が、ありのままの自分を許した時、
ギフトを受け取れるんだろうと思う。
さて今日は
どんな自分を発見するだろう。
ちょっとでも、自分との時間、
大切にしてみてね。
今日も最後まで読んでくれて
ありがとう♡
ではまたね!(ㅅ´꒳` )
良い週末を♡
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