群れない私が見つけたもの

わたし

今日もこの星のどこかで
生きている 愛しいあなたへ

今日も来てくれてありがとう!


私は昔から、“人と群れること”がちょっと苦手で、
ずっとそれをコンプレックスだと思ってた。

でも先日、その思いが大きく変わる出来事があって。
今日はそんな「小さな気づき」をお話しするね。

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私は、群れるのが苦手、と言っても、
人が嫌いなわけではなく、
“目的もなく、ただなんとなく群れること”
が苦手なのね。

それは私が、
“周りに合わせること”が苦手で、
自分が思ってもいないことを極力言いたくない、
という思いがあるからかなと思う。
お世辞とかも言えない。

一般的な“ママ友”というのも、ほとんどいない。

そういう自分のことを、
ノリの悪いやつ、気の利かないやつ、
人付き合いの下手なやつ、
そんなふうに先日までは思ってた。

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その日は娘の学校の行事(体育祭)で、
特別な交流はないから、気楽だったけど、
ちょっとした“集まり”ではあった。

特に気を遣う相手もいないし、
基本は一人行動で、時々は旦那さん、と
マイペースに過ごしていたんだけど、
その日は珍しく、
周りがすごくうるさく感じられたのね。

止まることのない日常会話や、
次から次へと出てくる単語だけの会話、、、
それを心底「うるさ〜〜〜」と
感じてしまった自分がいた。

そして、こんな私は、やっぱりひどいやつだ、
と自分で思った。
社会不適合者だ、ぐらいに思った。

そして、とりあえず静かな場所に移動して、
「私、何がそんなに嫌だったんだろう?」
と考えてみたのね。

すると、気がついたのよね。
私が嫌だったのは、“ペラッペラに感じる言葉”

ただ音として流れていくような、
中身のない言葉のやり取りがしんどかったんだと。

そして、同時に、
思った以上に、自分が、
言葉のエネルギーを敏感に感じていることに
気がついた。

感じたいエネルギーと、
感じたくないエネルギーが、
私にはあるんだということに。

そして、
この感覚を大事にするために、
あえて私は、群れてこなかったんじゃないか?
と思えたのよ。

私はいつも、自分が発する言葉は、
自分の本心を通ったものだけででありたい、
と思ってる。

でもそうやって言葉を大事にしようとすると、
群れの中のスピード感や、
その場のノリには、
ついていけなかったりするんだよね。

ちょっと寂しかったり、
付き合いの悪いやつだと思われたりするけど、

それよりも私は、
私自身の感覚を大切にするために、
そういう場所を避けていたのかもしれない。

そう思うと、なんだかとっても、
あったかい気持ちになったんだよね。
私は私を大事にできていたんだ、って。

そしてこの日から、群れない自分を、
コンプレックスに思う必要はないと
思えるようになった。

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自分がコンプレックスだと思っていることは、
実は、自分が大切にしたいものを
守ってくれているかもしれない。
自分にしかできないこと=才能かもしれない。

コンプレックスは
コンプレックスじゃないかもしれない。

本当に、必要のないものは、
この世にないのかもしれない。

もう自分を責める材料にしなくていい。
きっとそこには、
あなただけの宝物が隠れていると思う。

今日も最後まで読んでくれて
ありがとう♡ありがとう♡ありがとう♡

ではまたね(*´▽`人)

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