見下すことと崇拝すること

わたし

今日もこの星のどこかで
生きている 愛しいあなたへ

今日も来てくれてありがとう!


今日は、
これをやめると、苦しいレースから
抜け出せるかもしれないよ、
という話をします。

私には、大好きで尊敬する人がいます。
こんなふうになりたいなと思う人もいます。
一目会いたい、と思う人もいます。
誰にでもそういう存在はいますよね。

そんな人がいたら、あなたはどうしますか?
できる限り近づきますか?
それとも諦めますか?

色々と方法はあると思うのですが、
これまでの失敗も含めた私の経験から、
これだけはしないようにしようと
決めていることがあります。

それは、「崇拝すること」

そして、これは、
“自分を低く見積もっている”という点で

「見下すこと」と同じです。


相手から、何かを学びたいとか、
ともに過ごして何かを感じたい、
そう思うことと、崇拝することは違います。
お金を払って“何か”を受け取ることもあるでしょう。
でも崇拝するために払うお金は、お布施です。

“崇拝する”というのは、
自分はその人に比べて劣っている、
その人のようにはとてもなれない、
その人に守ってもらおう、
という態度です。

自分はこのぐらい、と
自ら、決めてしまっているのです。

見下すことも同じです。
相手を、自分よりも下だ、弱い、わかっていない、
そう思うことで自分の価値を保とうとします。

これも、そんな相手がいないと、
価値を証明できないと思っている、
自分はその程度だと、決めてしまっているのです。

どちらも、比べることで自分を保っているのです。

比較の世界では、
自分が上になったり下になったりするレースです。
これは、苦しいです。

本当は、比べなくても、
あなたは唯一無二で、価値があって、
そのままで、ひとりで立てばいいのです。


でも人は、
おそらく弱さのゆえに、
誰かを見下したり、見上げたりしてしまう生き物。
それも人間らしい一面だと思います。

でももし苦しさを感じるなら、
やめた方がいいですよね。
私も苦しさを感じ、やめるようにしました。
それが以下の3ステップ。

まず
①自分には、
そういった弱さや、ずるさがある、
ということを認める。

そして、
②そんな自分も許す。

そして、これがポイント。
③自分はどうしたいのか?を問う。

見下したくなる時、見上げたくなる時は、
必ず、その相手の中に、
自分はどうしたいのか、のヒントがあります。
(なければ、実は全く気にならないのです。)

見下したい相手の中には、
“自分との共通点”や、
“自分が未消化にしている感情”が

見上げたくなる相手の中には、
“本当は欲しいけど自分に許可してないもの”が
必ずあります。

それを見つけようとすることは、
少々痛みを伴うかもしれませんが、
これができるようになれば、
あなたの人生は180度変わります。
身につける価値は十分にあります。

でも、急いではいけません。
練習が必要です。
変わるのは、じわじわとです。
繰り返していくと、
気がつけば、違う世界にいます。


比較をしてもいいのです。
それがいけないと言っているのではありません。
だからそんな自分がいても、
責めることはありません。

ただ、比較をして、
自分の価値を何となく決めて、
安心するのではなく、

「じゃあ自分はどうしたい?」と
問うところまでやってみてほしい。

本当は、あなたはすでに
存在してるだけで価値があるのだから。

証明することに疲れてないで、
その先にある自由な望みを
いますぐ叶えていいのだから。

今日は、誰かと比べてしまった自分に、
ちょっとだけ優しい目を向けてみませんか。

自分だけの、小さな望みから叶えていこう。

最後まで読んでくれて
ありがとう♡ありがとう♡ありがとう♡

ではまたね(*´▽`人)♡

その望みについて卍易で尋ねてみませんか。お問合せはお気軽に。
チャット鑑定は6/4まで特別価格です。

LINE Add Friend




コメント

タイトルとURLをコピーしました