好きにして!と思えた日

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しのあなた。
今日もお越しいただきありがとうございます。

今、実家のある金沢へ向かっている。
母は昨年入院して以来、
以前より少しあった物忘れが加速した。

元気ではあるけれど、
いよいよ本当に歳をとってきたなと感じる。

私は18歳で家を出てから、ずっと関西に住み、
もうとっくに母とは
離れている年月の方が長くなった。

母が入院する少し前、
金沢に住むいとこから連絡があり、
「もう少しお母さんのことを
心配した方がいいんじゃない?」と言われた。

それからの1年、私の心の中に、
腫瘍のようなものができた感じで、
ずっと何か影みたいなものを抱えて過ごしていた。

その影は、いったい何なのか?
それを日々感じながら過ごしてきた。

実家での思い出やイメージ、嫌だったこと、
無理していた自分……
長い間しまい込んでいた感情が、
再び浮かび上がってきたりした。

でも、それをどこか
冷めた目で見ている自分もいた。

親が本格的に年老いていくという、未知の経験。
私はどう反応し、何を感じ、
どんなふうに対応していくのか?
そんなことを考える日々だった。

母が元気でいてくれることに、
安心し感謝する日々の合間に、
連絡が取れなくて心配したり、
母が元気がないと
私まで元気がなくなる日もあったり。

そんな中で、私は心のどこかでまだ母に
「私を安心させてほしい」とか
「私が母を元気にしてあげないと」とか、
思っている自分がいることに気がついた。

少し前は、こんなことがあった。

母が「自分でやる」と決めていたことを
忘れてしまい「どうしよう!」と泣きながら、
パニック気味に電話がかかってきた。
(でも、実際には
忘れても全然問題ないことだった。)

泣きながら電話してくるなんて珍しくて、
そのときは私もびっくりしたけれど、
数日後には母はその出来事を
すっかり忘れていた。

この「忘れる機能」に、
実は私自身が救われている気がする。

もし私の気持ちが、(元気とか不安とか)
母の状態に依存しているのだとしたら、
そんな自分は嫌だし、
そこからは自由でいたい。

私が母をコントロールすることも、
「こうなってほしい」と願うことも、
きっと無駄だし、
それは私が本当にやりたいことでもない。

今の私は、
「母に私を幸せにしてほしい」とも思っていないし、
「母を幸せにしてあげなきゃ」とも思わなくなった。

それに気づいたとき、私はスッキリした。
(前はやっぱり、どこかで少し
思っていたんだと思う。)

気づかせてくれたのは、母の老い。
そして「忘れる機能」かもしれない。

お互い、頑張ったよね。卒業しようね。

今はそんな気持ちになっている。

もしかするといつか、
母は私のことを忘れるかもしれないし、
この先何が起きるかはわからないけど。

何があっても、私は私を生きるしかないし、
母も母を生きるしかない。

なるようにしかならない。

そんなふうに思えている自分が、新鮮で。
生きていると、
こんな気持ちになることもあるんだな、と
ちょっとだけ感動している。

先週、母からメールの返事がなくて心配していたら、
「スキーに行っていた」と言われた。
(どうやら人生最後のスキーらしい。)
もう、心底「好きにして!」と思った。

今日はそんな母の様子を見てくる。

きっと、人は死ぬまで、
自分の人生をクリエイトできるんだろうね。

みんな、好きに生きようね。

今日も最後まで読んでくれてありがとう!

いつもありがとうありがとうありがとう♡

ではまたね!

卍易風水。公式ラインより色々発信中。

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