いつか拾うことになる

今日もこの星のどこかで生きている
愛しいあなた。
今日もお越しいただきありがとうございます。

我慢は良くない、
これは自信を持っていつも言ってるし、
自分でも思っているのだけど、
人に対しては最近は、
したかったらするしかないよね、とも思う。

いくら誰かが言っても、
本人がそれが正しいと信じている限り、
やめられないと思う。
かくいう私が40年我慢をしてきた人間だから。
誰かに言われたぐらいでやめれたら苦労しない。

私が我慢をやめられなかったのは、
「我慢をすればうまくいく」と信じていたから。

私の場合、これは主に家庭内の話で、
外ではあまり我慢しなかったのが
不幸中の幸いだったかもしれないけど、

それでも「我慢すればうまくいく」
を信じ続けて大人になって、
親密な関係(家族やパートナー)の中では
ずっと適用されてきた前提だったと思う。

そんな私がその後家庭を持とうとしたことは、
実は自分でも不思議だったのだけど、今思えば、
あのタイミングでしか無理だった気がするし、
これも与えられたチャンスだったのかなと思う。

「我慢すればうまくいく」
この前提を持ったまま家庭を持って、
数年後には行き詰まることになって、
本当にこのままだと自分がやばい、限界だ、
そう感じて、
自分について色々と考えなおすことになった。

そしてまず最初にやったのが、
「我慢をやめること」だった。

そこから好転したのは言うまでもないのだけど、
私もここまで40年かかったから、
今我慢している人に対して、
すぐに我慢をやめなさい!なんて言う気も
実はそんなに強くない。

だって、それが正しいと思ってるうちは、
それをするしかないよね。
そこを無理やり変えろとは正直思わない。
自分が信じてることを貫くことしかできない。
そういうものだと思う。

ただ、そのことと、
信じたいことを信じる、とはまた別の話で、

「それ、これからも信じたい?」

これを自問自答できるか、これが鍵だと思う。
この鍵で新しい扉を開けることができる。

で、この鍵がどこにあるのか?と言うと、
実は目の前にあって。
全てがうまくいってない、こんなはずじゃない、
このままでは苦しい、いよいよ八方塞がりだ、
もう全てが嫌だ、その感情が鍵。

それを、拾えるかどうか、なんだよね。

もう一人の自分。本音。
それを見てあげれるかどうか。が鍵。

私は八方塞がりになった時にようやく
ずっと無視して押さえつけてきた自分を見つけて
本当に申し訳なくなって、
ごめんね、これからはちゃんと話を聞くよ、
そう約束した。

一つ一つその約束を守ってくうちに、
いろんなことを知ったし感じて、
もう「我慢すればうまくいく」という信念は
持ってない。

もし私が我慢しないで、
うまくいかないことが起きても、
私は私を我慢させなかった、大切にできた、
ということにうまくいってるから、
OKと思っている。

我慢をしていた時は、
人に我慢をさせるような自分になるのが嫌で、
要は、カッコつけてたんだと思う。
でも、大なり小なり、生きていれば
誰かを悲しませることや、我慢させることは
あるのが人間だと思うようになった。
そんな自分でも別にいいじゃん、と。

この世は修行で、
我慢するために生まれてきた、
耐えてる私かっこいい、めっちゃ頑張ってる、
ぐらいにずっと思っていたけれど

今は、自分を大事にできないのは、
かっこいいことではないと思ってる。

今我慢してても、
もし本音では苦しいのであれば、
ずっと耐えてきたもう一人の自分が
教えてくれる時は必ず来ると思う。
というか、来てる。

素晴らしいシステムだよ本当に。

だから、大切な人には、
今は我慢しててもいいから、
どうか日々の小さな自分の感情を
大切にしてほしいと思う。

鍵が毎日毎日目の前に落ちてたら、
そろそろ拾おうか、となる。
触りたくないうちは拾わないと思うけど、
自分で拾うまで無くならないから、
(むしろ見やすいように大きくなるから)
いずれは拾うことになる。

だから私は、実はそんなに心配はしてない。

でも、私も過去に、
こういう話をどこかや誰かに聞いていたことで、
その時はわかってなくても、後になって
拾う勇気がもらえたと思うから
私の思うことを書いてみてる。

大丈夫。全てはいい方向にしか向かっていない。
自分がそう信じさえすれば!!

さて風邪に気をつけて、
ぼちぼちいきましょう☆

今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました!
いつもありがとうありがとうありがとう!!

ではまた( ´ ▽ ` )ノ

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