15年悩んだことの結末

今日もこの星のどこかで生きている
愛しのあなた。
今日もお越しいただきありがとうございます。

先日15年越しの悩みが、ある結末を迎えた話
を投稿したところ(Facebook
何があったの〜と何人かに聞かれたので、
ここに記しておこうと思う。

私以外の人物も出てくるので、
書こうか迷ったけど書く。
あくまでもこれは私の主観的な感想なので、
それがみんなの答え、だと思わないでね。
自分はどう思うかは自分の責任で読んでね。
あくまでも私が感じていたことを書くね。

私は、小さい頃から、あまり楽しい思い出がないから、
お正月は嫌いだったんだけど、
大人になってからも、また嫌いになったんだよね。

理由は、一言で言うと、旦那が酔っ払うから。

「酔っ払う」と一言で言っても、
いろんな状態があるけど、私が嫌なのは
一緒にいて「記憶がなくなる」と言う状態。

結婚する前から、飲めば飲み過ぎて、
ところかまわず寝てしまうとか、
記憶がなくなるってことはしょっちゅうあって、
連れて帰ることになったり、お世話したり、
ここには書けないようなことも何度もあった。

もちろん、それも嫌なんだけど、一番嫌なのは、
酔っ払った時にだけ言う愛の言葉や、
楽しいことがあっても、それを覚えていないこと。
なんで毎回そんなことになるのかが
なんで記憶がなくなるまで飲むのか、
本当に理解できなかった。

記憶にない、と言うことが悲しくて、
大事にされてないと感じてしまう自分がいた。
もちろん、これは私の中の問題。
(意図的に旦那が意地悪してるわけじゃない。)

結婚してからも、
旦那の家族で集まれば、こうなる人が3倍になり、
女たちはいつも介抱、記憶に残らない会話の相手、
がお決まりだった。
私は一滴も飲まずに、毎回、旦那の運搬係だった。

子どもが産まれて赤ちゃんだろうが、
これが治ることはなかったし、
私が何度お願いしても同じだった。

結婚したことを悔やんだことも、
運搬の途中で捨てて帰ろうかと思ったことも、
何度あったかわからない。
外でのトラブル(盗難や乗り過ごし)も
なかなか無くならなかった。

飲んでもいいさ、酔っ払ってもいいさ、
機嫌が良くなっても、気が大きくなってもいいさ、
だけど、その時だけ嫌な絡み方をするのと、
それを覚えていないのだけは、本当に嫌だから、
お願いだから、管理してよ、
そう思ってた。
もちろん、何度も言った。

相手に変わってほしい、
当初の私はそう思っていたし、
その訴えで喧嘩になったことは数え切れない。

(念の為言っておくと、
ほとんどは飲み会がある時の話で、
家ではここまでなることは、
若い頃はたまにあったけど、今はない。
お正月はどうしても治らなかった。)

でも、ある時から、
私には理解はできないけど、彼らには、
こうしないといけない理由があるんだろうと
想像するようになった。
そして、そうだとしても、私の問題ではない、
そう思うようになった。

それと同時に、
お酒を飲む旦那に、一切関わらないことに決めた。
一切干渉しない。
責任も取らないし、お世話もしない。
警察からもし電話がかかってきても、知らない。
一緒に酔っ払うこともない。

そう決めて、
家族の集まりがある時は、
私は旦那の体を運搬さえできればOK、
自分は自分で楽しむことを考えたらいい、
そういうことにした。

酔っ払いは【私の幸せには関係ない】

そういうことに決めた。
そういう在り方にしていった。

そうやって自分の立場を自分で変えたのだけど、
やっぱり葛藤があった。
こんな自分を器の小さいやつだとも思ったし、
優しくない、嫁としてなってない、
そんな思いがなかったわけじゃなかったから。
そんな声も聞こえてきそうだったから。

でも、どうしても、
嫌なことをされて、笑顔で耐えるなんてことは
できなかった。

楽しい時間にしたいと思っても、
楽しい時間になっても、
その後に結局、
別人格になり、その上その記憶もない。
そうなると、どうしても楽しくない思い出になる。
私にとっては。

私の頭が固いのかもしれない。
冷たいのかもしれない。
じゃあ結婚しなければよかったのかもしれない。
私が愛の受け取り方が下手なのかもしれない。
でも、嫌なものは嫌。
そう感じる私が、私なんだから仕方ない。

そんな葛藤を抱えながら何年も過ごしているうちに、
最初は寂しさもあったけど、
自分がその日楽しむことを自分で見つけて、
その場を楽しんでるうちに、
本当にそれが【私の幸せには関係のないこと】
になった。

お正月の集まりは、何年か前までは
前日から気が重くイライラもしてたけど、
それもいつの間にか無くなってた。
私は私で楽しめばいい、帰りの運搬だけはする、
それでOK!そう思えるようになったことが
自分でも嬉しかった。

そしたら、今年のお正月。
運搬して帰ってきた旦那が、家で、まだ正気。
いつもなら泥になっているのに、今年は喋ってる。
記憶もある。なんなら家のこと手伝ってる。
子どもが赤ちゃんの時でさえ、
帰ってきた記憶もなかったのに。

どうしたん?となったわけ。

こんなことが起きるんだ、と
なんか、感動してしまったの。
(私にとってはどうでもいいことになってたけど、
やっぱり嬉しくてちょっと泣いてしまった。)

でも本当に、
こうなって欲しいとか、もう全くなかったし、
期待もとうに捨ててたから、
忘れた頃に振り込まれた保険金みたいな感じだった。

何が起きたのか本人に聞いてみたら、
「意識した」と。

え?15年目でやっと?と正直思ったけども、
私に文句言われないように、とか、
そんな答えじゃなくてよかったなと思ったし、

私自身はもう、どうであれ、
そのことには左右されない自分になってたから、
本当にボーナスステージだった。

望みは捨てていたんだけど、
ただただ感動して、なかなか眠れなくて、
あの頃の自分に、なんて声かけるかな?
なんて考えてみたんだけど、
これが意外に思いつかなくて。

15年経てば、旦那も変わるよ!
なんて言うのもおかしいし、
きっとその時の私にはそんな言葉は響かない。
15年後どうなるかなんて知りたいと思ってないし、
何か聞いたからといって
あの時の私にできたことがあったか?といえば、
なかった気がする。

だとしたら、
これが正解というものは本当になくて、
どんなことが起きる可能性だってあって、
どれが良いか悪いかも本当になくて、

ただただ、その時の自分の気持ちに
従うしかないんじゃないか、と思ったの。

その時の自分が完璧じゃなくても、
理想とはかけ離れていても、
人になんと思われようとも、
そのままの自分の気持ちに蓋をしないで、
ありのままの自分でやっていくことしか
できないんじゃないか、と思ったの。
強いていうならそれが正解。

この一つの結末が、
良いのか悪いのかもわからないし、
そういう評価ももう本当にどうでもよくて、

あの時こうしたからどうなったとか、
ああできた、こうできたとか、
原因も反省も、もうどうでもよくて、

ただただ、
もう小さい頭で心配しなくていいんだな、
なんでも勝手に成長するんだな、
その時の自分を生きるしかないんだな、
と思った出来事だった。

葛藤もしながら、
そんな自分で生きてきて、
ダメな自分も優しくない自分も全部自分で、
今、幸せにしていて、
生きててよかったなあと思う。
これでいいんだと思う。

感動を味わっていた時に、
この話を聞いてくれた友人が
「頑張ったね!」と言ってくれて、
ああ、そうか、私頑張ったのか?!と思った。

頑張ったのだとしたら、何を頑張ったのか?
それは、自分の気持ちに蓋をしなかった、
誤魔化さなかった、ってことかなと思った。
嫌なものは嫌と言ったってことだった。

じゃあ、あの頃の私に
「頑張ってるね」って声をかけようかな、
と思った。

ってことがあったお正月だった。

気になってた方がスッキリされたら嬉しい。笑

年のため言っておくけれど、
旦那はとても優しい人だよ。
こんな私といてくれてありがとう、と思ってます。

今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございます。
いつもありがとうありがとうありがとう!

どうぞ今年もよろしくお願いいたします(ㅅ´ ˘ `)♡

ではまた!!















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