今日もこの星のどこかで生きている
愛しのあなた。
今日もお越しいただきありがとうございます。
なんだか11月は色々と整理な月になってる。
怒涛の語り合いと気づき。
毎日誰かと語っては自分を知れている。
鏡になってくれている人に感謝しかない。
今日もそんな中で、
3年前の自分にどうしても言いたくなったこと。
それを書いておく。
3年と少し前、卍易初体験の日。
ご縁は本当に突然の意外な角度からだった。
占いが好き、というだけで、
卍易についての知識もなく鑑定を受けた。
いざとなって、自らの問いが必要と知って、
用意してなかった私は咄嗟に、
ヨガと瞑想を人(子ども)に教えたい、
という密かな願いを絞り出した。
結果は、吉で、可能性は十分にある、と。
そして、可能性の高い時期も教えてもらった。
でも、その前に春ごろに何かあるかもね、と言われ
それがきっと卍易入門のことだったと思う。
この経験からは学ぶことが多い。
おそらく、この結果を聞いて、
目標を掲げてそのための行動をしていれば、
きっと何かしらの形になったのだと思うけど、
実際は、ヨガと瞑想を教えることはしていない。
これは、いくら吉が出たとしても、
行動なしには何も叶わない、ということの証明。
当たり前だよね。
もう一つ。
それが本当の自分の望みじゃなかったと、
今ならよくわかる。
当日、絞り出したぐらいのことだから。
この頃の私は、望みなんて、
考えたこともなかった。
自分のことも大して考えれてなかった。
本当の望みじゃないことは叶わない。
この世はそういう仕組みになってる。
じゃあ、当時の私は、何を望んでいたか。
おそらく
「何者かになりたかった」のだと思う。
「肩書きが欲しかった」のだと思う。
きっとなんでもいいから何者かになりたくて、
「認められたかった」のだと思う。
認められるために肩書きが欲しかった、
のだと思う。
ヨガと瞑想は、長く続けていたし、
瞑想はティーチャークラスを受けていたし、
私の人生には欠かせないものだけど、
それを教える悦びや、
本当に伝えたいみたいな気持ちは、
正直あまりなかった。
ただ、きっと、何かになりたかった。
そうすれば認められる、そう思ってた。
そのためには何か肩書きみたいなものを
手に入ればいいんだ、そう思っていた。
そして、そのために色々やってきた
そんな3年だった気がする。
そして、3年経った今。
学んだこと、出会った人、たくさんあって、
今は「肩書きはいらない」と思ってる。
肩書き欲しさや、評価や実績欲しさに、
また、その焦りをなんとかしようと、
お金も時間も使ってきた。
でも、何者かになろうとすればするほど、
肩書きや、実績を作ろう作ろうとするほど、
自分じゃなくなる感じがあって、
ものすごく苦しかった。
私は、どんな肩書きよりも、自分でいたい。
そう思うようになった。
100%の自分でいたらどうなるか、
それを見てみたい。
肩書きって、
そうすることで、
自然とできてくるものかも知れないね。
お金払って、知識詰め込んで、
必死になって、急いで取りに行かなくても
逆に、
自分で自分を知っていって、
突き詰めていくと自然と出てくるもの
なのかも知れない。
肩書きの種類は人の数だけあるのかも。
だったら、
好きなように、今すぐ自分で決めてもいいし、
なんだったら、毎日変わってもいい。
なんなら、なくてもいい。
とにかく肩書きが欲しかった3年前の私に、
肩書きでは何も埋まらないよ、
肩書きなんかただの言葉だよ、と
言ってあげたい。
そんなことよりも、
もっと自分の本当の望みを聞いてあげな、
と言ってあげたい。
頑張って何かになろうとしなくていいから、
今、好きなことをやって、
今、やりたいことをやって、
今、やりたくないことはやめて、
自分の、今の望みを叶えてあげな、
と言ってあげたい。
きっと何者かになって、
「認められたい」と思ったんだと思うから、
自分で認めてあげたらいいだけだし、
今からでも、
私がそうしてあげるよ、と言いたい。
肩書きなんてなくても、
素敵な人いっぱいいるから、
そんな人たちと出会える自分になっていこう、
と言いたい。
(実際なってるよ、とも言いたい。)
そのためにも、
自分の本当の思いを大事にしていこう、
と言ってあげたい。
きっと、我慢とか、無理とか、
そう感じるものはしなくていいんだ。
それが自分で分かった3年間だったな。
出会ってくれた人に、感謝しかないな。
ありがとうありがとうありがとう。
これを読んでくれた人も、
ありがとうございます。
ありがとうありがとうありがとう。
今日もあなたが平和でありますように。
では、また(*´˘`*)♡
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