今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま
本日もお越しいただきありがとうございます。
ちょっと気づきがあったのでシェア。
私のとても大きな欠点というか、
ずっと埋められずに困ってきたことがあってですね。
これまでもいろんな場面でヒントはあったんですが、
それがいよいよ分かりかけてきて。
人間関係の衝突や、創造と破壊、ドロドロの喧嘩、
その度に尻尾を出していた、
私が心から感じたいと思っているもの。
それは「父の愛」だと。
私が渇望していたのはそれだったと結論が出た。
おそらくこれでいろんなことの辻褄が合うと思う。
そこまでは前からわかっていたのだけど、
もっと致命的なのが、
それを、求めてなかった、ということ。
求めてないから、得られない。当然。チーン。
なぜ、求めないのかと言えば、
失うのが怖いから。
なぜ怖いのか。
ある(あった)ことも、
失うこと(その悲しみ)も知ってるから。
で、ここ数年思ってたいたことは、
体験ってやっぱりすごい。ってこと。
(神様がしたいと思うだけあるね!)
ない体験ってのは、
どうしたって大きな欠乏になるんだと。
どんなお父さんでも(嫌いでも最低でも)
家に普通にいるのが当たり前の中で育ったら、
「お父さんがいる」という安心みたいなものが
当たり前に体に染み込んでいるんですよ。
体でわかってて、問題にもならない。
逆にないことを体験することはできない。
想像もしないだろうし。
また、
私は障害のある家族と生活を共にしていたけど、
そうした経験のない人は、
いくら、世の中に障害者がいることは知っていても、
実生活や世の中で、
家族がどんなことを肌で体で感じるのかまでは
体験したことがないから分からない。
肌で感じてることは雲泥の差があるはず。
異性と付き合ったことがない人が、
付き合うってどんな感じ?と思うように。
ペットを飼ったことのない人が
動物と一緒に生活するって
こんなに大変だったんだと気がつくように。
モテたことがない人は、
モテるってどんな感じか分からないように。
大前提として、
やっぱり体験してないことって、
どうしても
分からない部分が多い。
想像してみようにも、
あちらこちらから情報を得ても、
実際の体験とは比べ物にならない。
望もうにも、それが難しいんだよね。
だから、
10歳までしか父と一緒に居なかった私は、
「分からない」ことが多い。
「父の愛」とか「父性」とか、
そういうものの受け取り方や求め方が分からない。
どういうものかも10歳までの経験の範囲でしか分からない。
これね、気がついた方もいるかもしれないけど、
父親との関係ってのは、
お金との関係と深く繋がってるんですよ。
実際このことは、
お金と向き合うことでわかってきたことでもあって。
(その話はまたいつか。)
で!!
モテたことがない人が、
どんなところで何をアピールしたり、
何を感じたり、キャッチしたり、
どんな行動取ったりしたらいいのか、
最初はさっぱり分からないのと同じと考えれば、
私はつまり、
「父の愛(父性)」や「お金」に関して
圧倒的に経験が足りなくて「鈍感」なんだと。
字の如く、感性がとても鈍いのです。
ここに関してだけは本当に極端に。
モヤ〜っとしてるんですよ。本当に。
つかみどころのないものになってるの。
(また失うのが怖いから、
無意識に鈍くしているのもあると思うけど。)
でも、だからって求めないなんて、おかしな話ですよ。
って、最近は思うのです。
気付いたなら求めればいいんです。
欲しいものは欲しいと言ったもん勝ちです。
そしてもう一つとても大事なのは、
あるをみる。
これも、極端に鈍いんです。
あるをみる動作が身についてない。
怖いからもあるでしょう。
でも怖いってことがわかったら、もう山超えてます。
やっていきます。
どんな小さなことでも見つけていきます。
あるからね、探せば。
なんか他にいい方法あるかな〜。
父の愛を描いた作品みるとか???
でもね、
「ない」ことって、
最初から当たり前に「ある」よりも
心から「求める」ことになるから、
そういう意味があるのかもね。
「傷」もね〜。
私は、
とりあえず、不感症を治して行こう〜。
と思います。
という話でした。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございました!
みんなは何か「なかった」もので、
ずっと「欲しい」ものある??
ではまた^_^
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