可哀想と言われて

わたし

今日もこの星のどこかで生きている愛しいみなさま

本日もお越しいただきありがとうございます。

自己探究の道に進み始めてから5年。
日々新たな発見があり、
この道は、
終わりのない、
私が本当に進みたい道だと感じています。

先日もまた一つ、
わかったことがありました。
長いこと持っていた疑問を
お世話になっているコーチのあやかさんに
投げてみた時のこと。

「かわいそう」と言われると、
嫌な気分になるのですがなぜですか?

自分のこと、
特に我が子のことを話して、
「かわいそう」と言われることが、
ずっと嫌だったんですね、私。
先日も言われて、
これは長い間ずっと思ってたことなので、
思い切って聞いてみたんです。

言ってくる相手は、
悪気がないことももちろん分かっているんです。
でもね、
言われるとすごく嫌な気持ちになるんですね。

で、あやかさんには
「それを言われて、なんて言いたくなる?」
と言われて、

「可哀想じゃないよ、全然」
と言いたくなります、
と答えました。

いつもね、反抗したくなるんですよ。
可哀想、って言われると。
さらっと流せなくて、
言い返せる場合は言い返すんですが、
言い返せない時はずっと悶々としてるっていう。

で、色々と話を聞いてもらってるうちに、
それは
自分に言ってあげたい言葉だってことが
わかったんですね。

つまり、
かわいそうだと思いたくないんじゃないの?
と言うこと。

そう。
私は、誰のことも可哀想だと思いたくない。
これが私の本音。
思っていない。

だけど、これまで、
思わされてきたり、
思わないといけないと、
どこかで覚えて、
いつの間にか、
無意識に(!!)
自分が助けてあげないといけない、
私がなんとかしてあげないと、
救ってあげないと、

と思うようになっていた、
と言うことに気がついたんです。

そして、それを
もうやめたいんだ、
わかった。

うん、そういうのやめたい。
これもずっと思っていたこと。

やめれることはやめてきたつもりだったけど、
ここにきて、
自分の本音がまた出てきた。

可哀想な人なんて一人もいないんだ。
これは、私がずっと感じてきたこと。
障害のある兄を見て思っていたことかもしれない。
とにかく、
可哀想だと周りが決めることに、
ずっと違和感を感じて生きてきた気がする。

私は、
どんな人も、
可哀想じゃなくて、
その人の最善の人生を生きていると
思っているし、
思いたい。

その本音と、
こうあらねばならない、が、
ぶつかり合って、
ずっとモヤモヤしていたのだと思う。

それに気づいたおかげで、
よりピュアに、正直に生きていけそうで、
とても嬉しい出来事となりました。

気づかせてくれたみなさんに感謝!!

やっぱり、
一人では気付けないことがありますね。。
そして、目の前に現れてくれる人は、
やっぱり気づきをくれますね。

みんなみんなありがとう。

今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。

ではまた♡





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