今日もこの星のどこかで生きている
愛しいみなさま
本日もお越しいただきありがとうございます。
「卍易の神様は厳しく優しい」
これは確か講座の第一回目に
師匠がおっしゃった言葉だと思います。
これを聞いて2年が経とうとしている今、
本当にそうだなあと感じています。
卍易は吉凶がはっきりと出るので、
それはもう厳しいです。
「凶」と言われてしまうことも多々あります。
でも、もう一つの厳しさは、
「問いたいことを問われること」
だとつくづく感じるようになりました。
たくさんの卦を立てていると、
ぼやっとした質問にはぼやっとした答えしか返ってこない
ということがわかってきたんですね。
それは師匠もよくおっしゃっていたことなんですが、
本当だなあと。
不安でいっぱいで、
自分がその不安の中でどうなるかを心配していたり、
(どうしたいか見えてない)
うまくいくならやろうと思うけど、
そうじゃないならやめとく、とか、
(自分はどうしたいがない)
自分以外のものに決めてもらうとか、
(自分で決めてない)
そんな状態でコインを振っても、
望む方向へ導いてもらえない
ことが残念ながら分かってしまいました。
厳しい!!
やっぱり、
「私はこうなる」「これをする」「この道へ行く」
それを決めた状態でじゃないと、
(一旦とりあえずでも)
どうすべきか教えてくれないんですね。
厳しい!
決めた人には、はっきりと教えてくれます。
優しい!
でもね、
それってやっぱり、
「私はこうなる」「これをする」「この道へ行く」
という意思に勝るものはないということだとも
思うんですね。
私はそれを教えられている気がしてならないんです。
「自分どうなりたい?」
「自分どうしたい?」
って、やっぱり自分で自分に聞いていくことでしか、
わからないし(他人にはわからない)
わからないことは決められない。
決めないと、始まらないし道はできていかなくて、
卍易は
そこに真剣になって(時間をとって)
自分がどうしたいか自分で分かって、
どうなるか決めれた人には、
めちゃくちゃ優しいんだなと。
というか、きっと宇宙って
そういうもんなんだろうね。って
ふと思った今日この頃。
望みがわかったら、
卍易を頼ってくださいね。
厳しく優しい強力な力となります。
今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
ではまた( ◠‿◠ )
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